女神の美麗法~悲しみのあとは残さない

SJ140_L 聖母

 

 

 

傷ついた心の形跡を顔の上に残さないということ。

 

 

 

 

メディアに出るようになると、時々チクンと胸が痛くなる言葉を受け止めさせて頂くことがあります。

 

「偽善的なことばかり言ってる」

 

「本当に傷ついたこともない癖に!本当に苦しんでからまた同じセリフを言ってみなさいよ」

かつて、書きなぐるような文字で届いた言葉でした。

 

苦しかったのでしょうね。

 

どうお感じ頂くのも、完全にその方の自由なのですから、大丈夫なんです。

でも、でもね。

 

体験したことを、そして乗り越えてきたことから、私が見つけたことしか話していないんだけどナ・・。

 

 

ただこんな時はひと際、かつて聖なる母性から学んで大切にしていた『魂のエレガンス』の真理が身にしみて、感謝といたわりとともに涙があふれることがあるのです。

 

 

かつて、聖母が私にいったのです。

 

 

 

『暗い気分になってる時に、その暗さが顔に出たら、やりなおし』

 

 

 

 

 

 『苦しんで苦しんで、七転八倒して倒れてもいいのです、しかし倒れたその疲れと心の傷あとが、顔に現れてたら、やりなおし』

 

 

 

 

 

 『 自分が経験してきた苦しみが、顔に残っているのは、まだその世界をあなたの魂がぬけきっていないお印です。ぬけていないのだから、希望が伝わるはずがありません。

 

 

 

 

ぬけきりなさい。

 

 

 

昇華しなさい。

 

 

 

 

 

 あなたの胸でその苦しみが、この為にあったのだとあたたかい答えを見いだすまで、優しくなって優しくなって、昇華するのですよ。』

 

 

 

 

 

 『苦しみはいくら経験しても恥ずかしいことなどありません。

 

 

 

 

 ただ、誰かがあなたを見て幸せそうだな、とびきり明るいなと、その歩いた道のりが微塵も感じないくらいぬけきってこそ、メッセンジャーなのですよ。』

 

 

 

 

 

 

 

キラキラと、でも少しだけにがく感じた聖母の言葉でした。

 

 

 

 

 

 

SG034_L

 

すべてのいのちが、お幸せでありますように

 

 

 

私はよくいろんな場所で、お茶をする為に喫茶店に入ります。

 

 

 

今はもうなくなってしまったお店ですが、長く通っていた喫茶店が以前もあったのです。

 

 

 

いつも、気持ちよくお茶を頂いていたのですが、ある時そこで働いていた女性のお顔があからさまにとても苦しそうになってきたのです。

 

 

 

 

ストレス?イライラ?なんだろう、どうしたのかなと心配したのを覚えています。

 

 

 

 

お顔に酷しい相、エネルギー切れで余裕のない相。

 

 

綺麗な方なのに、とても険しい相が出ていました。苦しそうだな。

 

 

 

 

ほどなく、そのお店が経営がうまくいかず、閉店したと聞きました。あの頃何かがあったのかもしれません。

 

 

 

あの時、でてしまっていた女性のお顔の険しさは、内なる霊(こころ)の苦しみだったのです。

 

 

 

 

みんな、みんな、苦しいんだ。

 

 

 

でも、それを優しく包み込む大きな世界があるのです。だから・・。

 

 

 

 

 

ぬけてゆきたい。

 

 

 

 

みんな苦しいんだ、だから あの苦しんでいる方々にも、優しさが届きますよう、届けられますよう 私はぬけてぬけてゆきたい。

 

 

 

 

苦しみの先は希望だと、お知らせできるように。

 

 

それから、私は、自分の人生に訪れる苦しみを体当たりで越えてきました。誰の人生にも苦しみはあるように、私の人生にも苦しみは訪れていました。

 

 

悔しさに唇を噛み締めて一人泣いた日も、さみしさに気が狂いそうになり、夜中に気を沈めるため祝詞を読み上げた日もありました。

 

 

 

 

苦しくて、手を強く握りしめすぎていて、手をひらいたら、手のひらに自分の爪のあとが、ぎゅっと消えないくらい ついていた日もありました。

 

 

 

 

今でも、思い出すと涙あふれる経験も経験してきました。

 

 

 

 

でも、私は胸をはって皆様にお伝えできるのは、いつの時も私は笑っていました。

 

 

どんな時も、いつも、苦しんでいる最中でさえ、笑わない日はありませんでした。

 

 

 

無理して笑顔を作っていたのではありません。

 

 

 

ただ、神様を、宇宙を、

そして、自分を導く聖母の希望と優しさを信じていたのです。

 

 

その苦しみは敵ではなく、私に希望を教えてくれる先生だと信頼していたからです。

 

 

 

すると、人生は苦しみに直面する度、実践から導きだされる優しい知恵と真理を見せてくれました。

 

成長する機会をいただけました。

 

 

だから、笑うことができました。

 

 

その、経験から学び、成長するからこそ、苦しみ界をぬけてゆける。

 

 

 

そしてぬけてこそ、届く手があることを身にしみて思うのです。

 

 

 

そういう意識で登ると、顔に影は残りません。笑顔だけが残ってくれるのです。

 

 

だからこそ、時にいただく

 

 

 

『苦しんだこともない癖にズルい』『幸せな人にはわからない』という言葉をいただくたび、

 

 

苦しいのですね、わかりますよ。

 

 

 

私もその気持ち経験したことがありますと、いたわりの気持ちが生まれ、そっと手をあわせます。

 

 

相手さまにはあたたかく手をあわせ、優しい光を送ります。

 

そして自分の魂には、よかったね、心の傷痕は綺麗に消えているみたい、またがんばろうネと胸をとんとんしてあげられます。

 

 

 

人生の中で、美しい身支度をしましょう。

 

 

 

メイクアップとは、自分じゃない自分に化けるためのものではなくて、『アップ』と示されているように、自分の波動をひきあげる為のものです。

 

美しくあることは、成長であり、昇華なのです。魂をひきあげる力です。

 

 

 

ですから、自分の人生に出会う苦しみを苦しみのままにしないで、あたたかい愛の答えを見つめませんか?

 

 

 

あなたの苦しみは、美しい光にあたためなおすことができます。

 

あなたの魂は、今この時も、苦しんでいる時でさえ、本当は綺麗なんですよ。

 

 

さあ、今日もさらに綺麗になってくださいね。