もう何もいらない

 

 

 

 

私達は常に何かになろうとしています。

 

 

 

いつも、自分はまだまだだと思っていて、完璧を目指そうとします。

 

 

私はまだできていない。

私はまだ、望む姿になれていない。

また成果を出していない。

 

 

よく考えたら、

誰にも何もいわれてないのに、

不思議とあせっていたりする。

 

 

 

もっとちゃんとするまでは

認められてはいけない。

 

 

 

もっとちゃんとするまでは、

愛されてはいけないと、

 

 

幸せをセーブしていたりします。

 

 

 

愛を感じる為に・・。

 

 

 

自分の神性に還る為に・・。

 

 

 

完璧である必要はないのです。

 

 

 

ただ、

 

できる自分も、

できない自分も、

両方ふわりと手放して

リラックスして、

 

 

素直になれたら それでいい。

 

 

 

とっても頑張ったのに、何かができなかったら、

私達は自分を責めてしまいがちですね。

 

 

でも、そうやって自分を責めたら、

次がうまくいくなら、責めるのもよいけれど

責めて成功する例を

あまりお見かけしませんね。

 

 

自分を責めていると、

次のトライも、その次のトライも

 

やっぱり自分を責めています。

 

 

実は迷路に入ってしまう。

同じ道をくるくると回ってしまうだけになります。

 

 

 

だから、できなかった時、

 

あれはタイミングが悪かった、私だってちゃんとやればできたんだからと、我をはらないであげて下さい。

 

 

できても、できなくても、

また一つ、今必要な大事な経験を授かっただけなんだな、だから経験をしっかり受け止め、これもまたよし、OKなのだと、

ふわりと心をくつろがせてあげられる時、

 

 

 

私達の心の窓は、

宇宙に向かって大きくひらいてゆきます。

 

 

そして、その宇宙の彼方で、

あなたの帰りを待っていてくれる

母なるものの慈愛が

心に響いてくるでしょう。

 

 

その天の慈愛は、まさに無条件の愛なのです。

 

 

あなたができても、できなくても、

あふれる程、愛されて

大切に大切に慈しまれるのです。

 

 

例えば、あなたがかつて、

苦しみから天を恨んで

その優しさに石を投げていても、

 

そうやって石を投げたから、

そういう人はもう 聖母に愛されない訳ではありません。

 

 

何度も失敗したから、もう聖母にあきれられて、そういう人はもう導かれない訳でもありません。

 

 

もうダメなんだと、うずくまらずに、むしろ、天は、もっともっとそういう魂の為に、

扉をひらいて、寄り添ってくれます。

 

 

 

それは いつでも、

何度でも、寄り添い

あなたを信じてくれる慈しみです。

 

 

 

何度あなたが背を向けても

愛してくれるのが聖母です。

 

 

何度あなたが自分を信じられなくなっても、

あなたを信じていてくれるのが、

天の愛なのです。

 

 

宇宙は、あなたが完璧である事を

望んではいらっしゃいません。

 

 

ただ、素直であることを、

幸せであることを、

自分を大切に扱う事を

望んでいるのです。

 

 

 

素直に泣いて、

素直に認め、

素直に優しくできたなら、

 

 

私達は自分を認める事ができます。

 

 

 

私たちの道は、

宇宙の導きに直結していくのです。

 

 

私達はいつだって、

心のあたたかい場所から、

天に愛されているのです。

 

 

 

 

もう、何もいらないから ただ、

愛の中に戻っておいで。

ー聖母意識