光の栄養~すべての人は光である

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これからお届けいたします言葉の光は、ある時は瞑想中に、又ある時は内なる声により、姫乃宮亜美が受信した聖なる母性の愛の声です。この言葉に出会った時、あなたは何を感じられますか。あなたの胸に優しい聖母のぬくもりが届きますように。

 

 

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すべての人は光です。

 

 

 

『 わかりますか?あなたは愛の光なのです。そしてあなたと同じように、すべての人は光です。

 

 

 

どこのどなたであろうとも、身分、年齢、条件を超えて、すべての人は光です。

 

 

 

 例え、どんなに頑固に見えても、意地悪に見えても、すべての人は光です。すべての答えは愛なのです。それ以外の姿は、その人が恐れから創り出した防御の壁にすぎません。

 

 

その壁に向かっていくら頑張っても、壁に打ったテニスボールのように同じ力で跳ね返ってくるでしょうね。

 

 

 

でも今、あなたが感じているように、すべての人は温かな愛を持っています。だから、壁に焦点をあてるのではなく、壁の向こうにあるその方の本当の光を見つけてあげなさい。

 

 

 

その方の本当の姿である、愛を見てあげなさい。その光とつながると壁は溶けて、心をこめたメッセージは、相手の魂にしみこんでいくのです。魂から愛が伝わって、ひとつになれるのですよ。    』

 

 

 

この言葉は約30年前に、私が仕事を始めたばかりの頃、経験も浅く、なかなか届けたい世界が伝わらず、興味本位や否定的な態度の方など、人間関係にもまれた時に、届いてきた聖母の言葉です。

 

 

 

見えないものが見え、聞こえないものが聞こえるがゆえに、頭のおかしい女の子とバカにされる事が少なくなかった頃で、なかなか伝わらない仕事に疲れきっていた頃に聞いた聖母の声でした。

 

 

 

しかし、この言葉を受け止めて 私は自分の人生に奇跡を起こし始めます。

 

 

「バカみたい」と話すためにお友達との話の種になる材料を探しにわざわざいらっしゃる人。

 

 

 

君に何がわかるんだ!とどなってくる人。

 

 

 

 

目に見えるものしか本当ではないと、理屈や理論で、私を論破しようとしてくる人。

 

 

 

そんな方々ばかりが大量に押し寄せていて、自信をなくしていた頃の私でした。

 

 

 

その私が、聖母のこの言葉を聞いて、はっとしたのです。

 

 

 

 

 

私は、その方々の見た目の態度に向かって、ボールを投げていたんです。

 

 

 

わかってもらおう、わからせよう、バカにされないように、きちんとしよう等、わかってもらおうと、見た目のその方々の態度に向かって、おびえながら対処していました。

 

 

 

そこじゃない。

 

 

 

その奥にある、その方の光を思うことなんだ。

 

 

 

人はみな、自分の美しさを見失うと、怒りの仮面、感じの悪い仮面、お人をバカにしてしまう仮面もかぶります。でも、それはその人の本質ではない・・。

 

 

 

 

でもその仮面の奥には、けっして消えることのない光が、本当は誰の中にも輝いているのです。

 

 

 

 

時に  誰もが人をバカにしたり、怒ったりするのは、本当は不安だから。でも、誰もの中には、美しい神の光が灯ってる。

 

 

 

 

それを思うと、見た目がどうであれ、どんな人の中にもあたたかい神の光があることに  私は気がつき、そこに焦点を当てはじめました。

 

 

 

相手をわからせる為ではなく、

私自身がその関わりの中で、愛の光を学ばせて頂く為です。

 

 

 

 

バカにする人がきて、それを感じるから、反応して私が身をかたくして、バカにされないよう頑張る。わかってもらおうとする。それは仮面と仮面のぶつかりあい。

 

 

 

壁に打ったテニスボールのように、同じ力で跳ね返ってきてしまう。

 

 

 

「わからせる必要はない。ただ、相手のいのちの美しさが、見えるよう自分を変えて行くことなんですね。」

 

 

私の意識が、表面の態度に対処しなくなり、自分から変わるという、優しい視点の覚悟を  ひきうけた時から、

 

 

 

激しい態度の人、頑なな態度な人に伝えたいことが通じるようになり、頑なだった態度の方々が、涙を流して心通わせて下さるようになり、バカにして、あちこちに噂を流していた方も、本当はあなたに助けてもらいたかったの。今日から私は変わるわと、私だけでなく他の人の悪口も一切いわないという生き方にシフトし始めました。

 

 

 

 

 

あの時の感動を、私はいまだに覚えています。

 

 

 

自分がどこに焦点を合わせるか、

 

 

カルマ(表面)のその人か、神性のその人か。

 

 

 

自分が定まり、焦点を合わせただけなのに、まるで街に灯りが次々に灯り始めるように、伝えたい優しい光が伝わりだしたのです。

 

 

 

 

 

そして、気づいたら、バカにしておもしろがってくる方や、試してみようという方は自然にこなくなり、成長したい、前に進みたいという魂さんばかりとご縁ができるようになっていました。

 

 

 

すべての人間関係に、この真理はきっと当てはまるでしょう。

 

 

 

あなたは、どこに焦点をあてますか?

 

 

 

すべてのいのちがお幸せでありますように。

 

~聖なる母性に感謝をこめて