幸せな場所(2)

 

 

 

 

 

うれしい・たのしい・幸せな気持ちと、ありがたい・おかげさまが交差するのが「心があたたかくなる場所」

 

 

 

 

出雲の地で、

例えば、一日めのホテルの夕食で、おいしいお食事を頂きました。

「おいしくて、なんて豊かなお食事」しかも美しいし、中身が包まれていて開けるまでワクワクするメニューもあり、本当に味わいを楽しませて頂きました。

 

 

 

 

でも、ただ食事を堪能しただけではなく、おいしい!綺麗!と感動する心の中から、

ちゃんと響いてきて、気づいて来るのです。

 

 

 

 

この美しいお料理を作って下さった方のお心を。

 

 

 

私はベジタリアン対応をして頂いていたので、お肉やお魚を頂くコースよりさみしくならないよう、豊かに美しく、食する側の気持ちを視野に入れて下さっている事が伝わってくるお料理でした。

ああ、心を下さったんだなと、お顔さえ知らないお料理人の方の真心に、いただきながら感動してしまうのです。

 

 

 

ありがたい、あたたかい。

ありがたい、幸せ。

そのあと、一時間程、そのお部屋を使わせて頂けることになり、

お料理の後片付けの邪魔にならないように、

私は宴会場の舞台の上に椅子をおいてもらい、

マネージャーの誘導で、私のまわりを皆さんがくるりと車座に囲むように座って下さいました。

 

 

食事のあとは、自由に温泉にいかれてもOKな時間としていたので、疲れてもいらっしゃるでしょうし、残る方は少数かしら?と思っていたのですが、

 

 

とんでもなくたくさんの方々が残って、私を囲んでくださり、

そんな皆さんの笑顔と、真剣な瞳をみていたら、

 

 

幸せでたまらなくなりました。

 

 

そう、私は、こんなふうに「光」を心から求めて下さる皆様に

惜しみ無く聖母の真理を伝える為に生まれてきたから、です。

 

 

 

皆さんの真剣な瞳を見ていると

 

 

あたたかくて、幸せで、

充実して、いとおしくて、

感謝があふれる。

 

 

あたたかい、あたたかい気持ち。

 

 

でも、そのあたたかい気持ちに焦点を合わせていると、

その時、その心の中心には、ちゃんと映ってくるのです。

 

 

 

真剣な皆様のその向こうで、なるべく音をたてないよう、邪魔しないよう、私たちがいただいた後の食器を片付ける為に、働いておられた中居さんたちのお姿が。

 

 

私たちの為の、このお仕事をなさってくださる方々も同じ星の住人で、

今、私があたたかい気持ちで聞いていて下さる、皆様の澄んだ瞳に語りかけられるのは、

このホテルで働いている方々の働きがあればこそ、

この場をおゆるし頂けるホテル側の許可があればこそ。

 

 

 

そのすべてが

交差して湧かせて頂ける「あたたかさ』だということ。

 

 

 

だから、あの日流れた

食事の後のトークを耳にして下さったのは、残って車座になって私を囲んで下さったツアー参加者の皆さんですが、

 

 

 

私のあたたかくなった霊性の中には、ゆっくり温泉で疲れている体を癒していた方々も、

ずっと働いてくださる中居さんたちも、おいしいお料理を作って下さったシェフの方も、添乗員さんも、バスの運転手さんも、

ツアーには参加できなかったけれど、心を向けて意識で参加して下さった皆様も、

すべてすべてそこにいました。

 

 

 

私は、そのすべてに語りかけていました。

 

 

 

感謝が香る

すべてとつながっている場所。

それがワンネスで、

私たちの本当の自分がいる場所なのです。

 

 

 

そのあたたかい場所から

皆さんと聖母の真理をわかちあえる幸せ。

 

 

 

私の胸をあたためて下さった

この皆さんの笑顔と真剣な目を見ることができたのは、この場所を許して下さったホテル側の愛があるから。

 

 

それを交渉しに、心を砕いて下さった主催者さんの真心があったから。

そう、人が喜びを通して波動をあげると、いのちにふれるので「あたたかい気持ち」が粒子レベルになってゆき、

 

 

壁も、肉体も、制限も

 

 

すべてを越えて、つながっているワンネスが現れてきます。

 

 

 

あの日、ツアー参加者の皆さんの笑顔と真剣な瞳をみて、いとおしさに胸がいっぱいになり、

 

言葉にできない幸せでいっぱいになった私の「あたたかい心」は、

 

その場にいてお話を聞いてくれていた皆さんのあたたかい場所と響き

 

 

 

その感覚は、そのまま

 

「聖母のこころ」なのでしょう。

 

 

 

 

ツアーでは、そんな宇宙の呼吸が自然に感じられる気がします。

 

 

 

すべてに いとしさを覚える。

 

行動を共にする人々から、

ホテルの中居さんから、レストランの皆様から、おみやげやさんの方々も、

通りすがりの人さえも、

 

偶然はないと、

すべてを視野に入れた拡大意識のワンネスで、愛を感じて 語り続ける。

 

 

 

それが私の

勾玉の心でした。