楽園からの手紙~プロローグ(2)

 

 

風が、波が、花の香りが奏でる楽園の祝詞

 

 

 

5年前

はじめてハワイを訪れた時。

私を導いて下さいました方が、たくさんのご配慮をして下さいました。

 

 

 

ハワイの名所やハワイの歴史が、私でもわかるように、スケジュールを組んで下さいました。

 

 

 

なんて美しく、ハートオープンで素晴らしい楽園世界でしょうか。

 

 

 

私は後れ馳せながらすっかりハワイの空気が大好きになりました。

 

 

 

 

 

 

聖母との語らい

 

 

 

ハワイに入る前に、私は聖なる母性に意識を集中し、

 

 

 

ハワイの地に入らせて頂く上で、必要なメッセージを受信していました。

 

 

「どうして私はハワイに呼ばれたのですか?」

 

 

すると、あたたかい答えが霊性にふれてきました。

 

 

 

 

「地球が次元上昇を進めてゆく上で、日本人の遺伝子の奥の奥に、修められた感性が目覚める時を迎えたからです。」

 

 

 

教科書には載っていない、遥かな時代、いにしえの時代に、

かつて地球には、ひとつの愛で人類すべてを結んでいた美しい文明がありました。

 

 

 

あたたかい母なる女神により 導かれた高度な文明が、いにしえの地球には 栄えていたそうです。

 

 

 

それは、ムーとも、レムリアとも、呼ばれていた母なる文明です。

 

 

 

 

このムーと呼ばれた文明が栄えた時代に、地球人類は、地球ではじめて女神の起源である母なる神の、聖なる母性を見いだしました。

 

 

 

宇宙ではさらなる起源があるでしょうが、

この地球においては、ムーと呼ばれた時代に、私達と聖母のふれあいが始まったのです。

 

 

 

 

その一なる創造主の、あたたかい母性を見いだして、

 

 

 

この地球において、私達が聖母を見いだしたのは、

ムーと呼ばれる文明の初期の頃です。

 

 

 

日本人として転生している魂の多く、

 

 

そして、このメッセージに引き寄せられる魂さんたちの多くは、

 

 

 

地球の転生の出発が、ムー(レムリア)を、起源としている事が多いのです。

 

 

 

そう、 だから、聖母の波動に出会う時には、

言葉は本当はいりません。

 

 

 

ふれると、

ただ、懐かしくて懐かしくて、

慕わしくて、

そのあたたかさに、涙があふれるからです。

 

 

 

 

そう、私達の遺伝子には、優しい記憶が刻み込まれているから。

 

 

 

私達は、母なるもののあたたかさを知っているのです。

 

 

 

 

いのちの源泉の母なるものを、見いだして、

その愛につながり、

自らの中にもある、その女神とのつながりを思いだし、

そのあたたかい場所から生きること。

 

 

 

そこから生み出されていた文明は、

あたたかい愛の文明で、大地とも、自然とも、動物とも、そしてすべての人とも

 

 

 

私達は、霊的に響きあい、ひとつだった所から生きていた時代がありました。

 

 

 

かつて、その時代の地球には、

優しさと敬意と、美しい霊性があふれていました。

 

 

 

愛が、私達の生活を生み出していたのです。

 

 

 

でも、時が進み、時代が進むにつれて、人の心は源からぶれはじめて、

 

どんどんぶれて、神性の代わりに「物的な便利なもの」が入り、「所有」が生まれ、

神性の代わりに「周りからの称賛」や「エゴ」が入りはじめて、

人心は、内なるワンネスを見失っては、分離して行きました。

 

 

 

神と自分は、もともとひとつで、

お人と自分も、もともとひとつで、

他のいのちは、すべて「わたし」の顕れで、自分自身だったのに、

 

 

 

源を見失った心からは、それがすべて遮断され、自分ではない、別なものに見えます。

 

 

 

だから、「嫉妬」が生まれ、「競争」が生まれ、「比較」が生まれ、「優越感」が生まれ、「劣等感」が生まれ「蔑み」が生まれ、「大切なものを軽んじる心」が生まれて、

 

 

 

私達はさらに、波動を下げて、次元を降下してゆきました。

 

 

 

 

しだいに、尊く美しいものがそこに輝いていて下さっても、

その 本来の優しさに、心が反応できない所まで、心の波動をおとしてしまったのです。

 

 

 

 

かつて、楽園が1度閉じてしまい、海に沈んだ時に、

わからない、わからない、どうして?と苦しみ、混乱していた魂たちは、これは罰か?と思ったのかもしれません。

 

 

 

でも、罰などではありませんでした。

 

 

 

神のあたたかさに、人類が見捨てられた訳ではありませんでした。

 

 

 

優しい救いは、消えていなかったのです。

 

 

 

天の母と、その御使いは祈りました。

 

 

 

 

いつか・・。

 

 

いつか・・。

 

 

 

「再び、準備ができたなら、どうか届きますように、いのちの手紙を残しますね。

 

 

どうか、子供たちが楽園意識を復活させる時がきたら、どうか伝えてあげて下さい。どうか、届けてあげて、優しく優しく包んでは、何万年の疲れをほどく程、優しく溶かして、歌ってあげてほしい。」

 

 

 

 

それは、そんな 母なる女神の優しい願いだったのです。

 

 

 

その太古のあたたかい祈りといのちの手紙を、母なるものから受けとって、ずっと遥かな時間を保持してくれている世界があるのです。

 

 

楽園波動が消えないよう、

私達がやり残し、忘れてしまった大切な波動を、

 

 

保持してくれている存在がありました。

 

 

 

楽園からのいのちの置き手紙は、

書物では残っていません。

 

 

祭祀などの祈りを通して、

代々続けられてきた祈りが、大気にしみこみ、大地にしみこみ、石に、水にしみこんで、記録されました。

 

 

当時の植物の種の細胞に、刻まれました。

 

 

 

それが、楽園の山奥ふかく響き渡る祭祀場にある石たちが、静かに放っている波動であり、

 

その時代に祈りの記憶を種に刻んで咲く、楽園の花や木や果物たち。

 

 

かつて、祈りの波動を受けた楽園の花たちが放つやわらぎの香気。

 

 

祈られた、海の潮の満ち引き。

 

 

 

そして、

楽園に姿を現すクジラとイルカたちの、「歌」。

 

 

 

これらは、楽園の記憶を保持しています。

 

 

 

 

何万年たとうとも、

消えることのない愛を、灯し続けてくれている世界なのです。

 

 

私達を、元の軌道にかえそうと、待っていてくれる世界が、この地球にはあるのです。

 

 

例えば、その楽園波動を残しているのが、ハワイの神性でした。

 

 

 

 

 

 

 

「心で聴き、肌で聴きなさい。」

 

 

 

 

5年前のハワイ。

 

 

聖母は言ってくれました。

 

 

「今回は、ハワイに入るだけでよろしいです。」と。

 

 

 

「ただ、ハワイにそよいでいる風を肌で感じて下さい。

 

 

 

波の音を聞き、その楽園の音を

肌で聴くのです。

 

鳥の声、ハワイの花の香りを、

ただ

ただ、肌で感じてください。」

 

 

 

 

古代のハワイでは、地球にとって大切な聖なる祈りが、石や岩に刻まれ続けました。

石は、祈り続けられたその祈りの記憶を覚えているものです。

 

 

石に刻まれている太古の祈りは、静かに大気に満ち、

静かに、深く、

ハワイの風と、波、花の香りが、

その記憶を波動として奏で続けています。

 

 

 

 

 

私は、ハワイに身をおいている間中、ずっと肌で楽園の波動を聴き続けました。

 

 

 

目を閉じていても、そのパワフルさを感じる、明るい太陽を受け、

 

 

波の音が、リズムをくりかえすのを肌で聴き、

 

 

花の香りや不思議なあまい香りの響きを、聴きました。

 

 

鳥たちのさえずり、

花たちの香り、

ひいては満ちる波の音。

 

 

 

ふわりと、楽園の風がくりかえし私をなでてゆきます。

 

 

 

ふわり。

 

 

ふわり。

 

そよぐ風。

 

 

どんどん、私の芯がやわらかく溶けて行きます。

 

 

 

私にとって、ハワイが与えてくれたすべての接触が、

 

 

楽園のお祝詞でした。

 

 

風は歌っていたし、

波も歌っていました。

花も、ヤシの木も、歌っていました。

 

 

楽園のお祝詞を。

 

 

雄弁に語っていました。

 

 

今、私にそよいでいる風は、どこかで楽園の記憶を保持する石にそよぎ、地にそよぎ、

 

 

 

楽園の記憶をもつ、花たちや木々を優しくゆらして、歌わせています。

 

 

 

すべての楽園の記憶をもつ自然の住人が、

 

 

 

声なき声で、

文字を越えた文字で、

今も尚、語り続けてくれていました。

 

 

 

 

私達が忘れてしまった楽園意識。

愛の意識。

自分は何者なのかという、問いの答えを。

 

 

ハワイの風が、波が、

歌っていた、それはいのちの祝詞でした。