母なるぬくもり

 

 

 

自分の中のあたたかさを大切に育てる。

 

 

 

 

 

 

例えば、鏡の前に立つと映る姿は、あなたの入れ物であり、器です。

 

 

 

その肉体という器は、あなたではなく、その肉体を動かしているあたたかいいのちの光、それこそが「あなた」なのです。

 

 

 

そのいのちは、分け御霊といって(創造の神様)のひとしずくなのですね。

 

 

 

あなたは、あたたかく優しい光なのです。

 

 

 

そして、神様は優しい大愛そのものです。

 

 

 

 

私達は、その大きな愛から分かれてきた、あたたかさのひとしずくです。

 

 

 

天の愛と同じ愛が私達の中で灯っているのです。

 

 

 

 

 

 

 

けれど、日々の暮らしの学びが難解すぎて、自分の中の清らかさに抵抗する人もいます。自分の本質を忘れてしまう人もいます。

 

 

でもそれでも、

 

 

 

私達の中には、けっして消えることのない愛がいつも灯っているのです。

 

 

 

その優しい光、神性を授かったからこそ、私達は動物ではなく「人間」として「生」を授かったのです。

 

 

 

 

それは、宇宙のナビゲーションである「あたたかいこころ」を授かったということです。

 

 

私達の内側には いつでも「あたたかいもの」があって、いつもそのぬくもりが、自らの進化の方向、進む方向を導いてくれるのです。

 

 

 

どんなに悪いことをしても、抵抗しても、寄り道しても、愛に背いて走っていると、そのエネルギーの不自然さに、やがて疲れる時がやってきます。

 

 

「愛なんて自分にはいらない」「理解なんてされなくていい」と、刺をだしていても、いつか自分の出している刺に疲れる時がやってきます。

 

 

 

 

自分のいる意識の世界の冷たさに嫌気がさす時、ふと ふるさとの優しさが懐かしくなるように、あたたかいぬくもりのある場所が恋しくなります。

 

 

それは、そのぬくもりこそが、自分の本質であり、

 

 

私達はそのあたたかい安心感から生まれ、やがてそのあたたかさへと還る・・。

 

 

 

 

いのちを包む愛のあたたかみは、私達の存在の起源であり、懐かしいいのちのふるさとの記憶だと、いのちは覚えているのです。

 

 

そのぬくもりが、自分の起源だと深いところでおぼえているからです。

 

 

 

だから、気持ちが意地悪になっている時、それで自分ではいいと思っていても、ある時 それでは苦しくなることに気づく時があるでしょう。

 

 

 

魂は無性に優しくなりたくなる時がやってきます。

 

 

自分をまるごと、愛して 受け止めてくれる世界が恋しくなるのです。

 

 

頑固に抵抗していても、その抵抗に疲れ、自分の弱さにさえ素直になれる時が必ずやってきます。

 

 

気持ちが素直になれると、

私達のいのちは、急速にいのちの「あたたかみ」を回復させてゆきます。

 

 

 

いのちの世界の そのあたたかさ、優しさが恋しくなる時があるのです。

 

 

それは、私達に神様の優しい光が灯っていて、愛こそが自分の本質だと深い所が知っているからです。

 

 

本当は、すべてのいのちがやさしくなりたいという希望を持っています。

 

 

だから、自分の中のあたたかさを大切に育てると、自分がとても気持ちよくて、大好きになれるんです。