癒しのベース(2)

 

 

違いのわかる感性

 

 

 

心の底に抑圧され 否定されている感情の曇りがあると、

 

私たちはその曇りを通して 世界を見てしまいます。

 

 

 

だから、心に曇りがあると、自分のいのちから湧いてくる神性の本質をそのままとらえる事ができません。

 

 

 

ですから、「言葉」としては同じだと思っても、

似て非なる波動の違いを感じ取れなくなって、理解が歪んでしまうでしょう。

 

 

 

まず、感情を優しく受け入れるのは、第一段階の癒しです。

 

 

 

それは内側で無意識にはりつめた、自分を責めるエネルギーを

 

ほっとやわらげて ほどいて、

 

元のあなたの本質の神の気を

表に出してあげる為です。

 

 

その、ホッとした気を繰り返す度に、心の曇りが晴れ渡り 澄んで行きます。

 

 

本質が見えるようになるのです。

 

 

 

そうやって、内側を責めるのを意識的にやめてあげて、

やすらぎに戻し始めると、

しだいに心は澄んできますから、

自分の魂からの波動と、違う波動の、細やかな違いが感じとれるようになってきます。

どんな方でも、です。

 

 

 

 

例えば、怒りなら

すべての怒りが悪い訳ではありませんね。

自分を生まれてきた目的に導いてくれる正当な怒りと、

 

内なるストレスをお人にぶつける感情的な怒りは別物なのです。

ですから、手放すべき怒りと、表現しても良い怒りとがあり、それを掘り下げてメッセージを見つけるよう導かれる 怒りとがあるのですね。

 

 







また、愛でも

人を愛した時、黙っていても自然に愛してしまう あたたかいときめきと、

無理やり愛さなければと、愛する事を頑張る事とは別物です。

 



愛を感じてるといっても、気持ちを押し付けたり、自分の寂しさを埋める為だけのものは、執着といい、愛とはちがうものです。



 

 

できない自分、だめな自分をいったん許し受けとめてあげる事は、自分のベースを創る大切な力ですし、

すべてをそのまま受け入れる事は、大切です。

 

だけど、自分をゆるす事と、

成長をとめ、なまける事とは別物ですね。

 

 

すべてをそのまま受け入れる、とは、「無法状態  (真理がない、軸を失った状態)」とは、別物です。

 

 

 

本音を話すことと、

お人の傷つく事を何でも言ったり、わがままを通す事は 別物です。











似て非なるものなのです。

それらの、区別が付くのは、

感情が解放されてこそ なんですね。

 

 

 

この「識別」が生まれてくるのが、次の癒しのステップです。






感情をひたすら、あたたかく気づいてあげる、そのまままずは受け入れてあげる・・。

 

 

これを丁寧にやっていくと、次第に波動の違いがわかるようになっています。

 

 

最初はぜんぜん、わからなくても

暮らしの中で、自分の苛立ちも、怒りも、真っ黒な気持ちも、

気づいて、気づいて、

あたたかく頷いてあげる事を くりかえしていく内に、

自然に備わり、その感性が表に出てくるようになります。

 

 

 

真理は頭の知識だけでは 理解できないと言われるのは、この体感と感性が動かさない事には、

 

進化につながっていかないからなのです。

 

 

 

私たちの心が正しい位置にいる時、

本来の在り方で存在する時、

 

 

そこから溢れる波動は、次の一段上の次元に必ずふれていきますから、

今を受け入れると、

必ず次のステップへ進むようになっているのですね。

 

 

自分を解き放ち、楽になり、遊んでいるようで、

或いは、怒って、七転八倒して、恥ずかしさに泣いているようで、

 

 

それでも、

その今を目をそらさずに味わえば、

必ず、魂は進化して、その人は次の学びに自然につながり、よくなっていきます。

愛になってゆきます。

宇宙の意識に出会っていきます。

 

 

宇宙はすべてがつながっているからです。