経験と霊的経験

 

 

 

 

地球は今、多次元化が進んでいます。

 

ひとつの事を知り、理解するのに、

何重にも理解力の層があります。

 

 

ひとつの天の優しさを、

自分がどの層で理解して登っていくのか、それはその方の心のチャンネルしだいだと言えるでしょう。

 

 

 

例えば私の人生は、旅が多く

世界中、日本中、あらゆる聖地に呼ばれて 伺う事があります。

 

 

 

世界にも、日本にも、聖地はあります。

体で言えば、まるでツボのように、エネルギーが湧いている場所で、

私は祈り、心をひらき、

 

 

そこにある声なき声、

沈黙の中の声を、

五感を通して 聴きつづけ、

それをお届け、お伝えしております。

 

 

そう、今回ツアーで訪れる

琵琶湖、竹生島、石山寺へ伺う事になったくだりも、不思議なシンクロニシティに溢れていました。

 

 

 

 

 

聖母は、いつもこうおっしゃいます。

 

 

 

「 霊的に成熟する為には、

まずは体感から始まるのですよ。」

 

 

 

旅というのは、それ自体がエネルギーを持っています。

 

 

まずは、肉体をある場所に持っていって、何かを感じてみるその経験が、

 

自分の「感覚」に、何かを感じさせてくれるからです。

 

 

肉体の五感が感じる経験は、

その奥の本当の自分にふれる

霊的経験へと、つながっていくので、

 

「非日常に体をおいて、感じる」という経験によって、心が動くと、

 

魂は、あたたかい愛の理解の層にふれ、

自分が知る必要のある事を、

心に映し出してくるのです。

 

 

 

私達を導く、天の大きな流れを理解するのは、

 

 

 

まずは、体をもって、

その場に立たないと、わからないものです。

 

「旅」は、魂にとって

とても大切な経典になりえます。

 

 

その日、その時、その場にだけ、流れている天の意志があるのです。

 

 

 

だからよく聖母は、

体をもって、そこに立たないと、わからない経験があると、教えてくれます。

 

 

「旅」には、その経験が明確に現れます。

 

 

 

普段、日常に埋もれていると

気づきづらい天の愛が、

旅、特に祈りの旅という

明確なメッセージ性をもったツアーに乗ってみたりすると、

 

 

 

何かしら感じるものが、一人一人に現れます。

 

 

例えば、聖母に導かれていくツアーでは、

同じ場所に以前 観光で行った時と、

聖母が主宰するツアーに乗った時とでは、

 

 

心に感じてくるもの、

心にわいてくるもの、

心に浮かぶものが違ってくる事によく気づきます。

 

旅の目的によって、同じ場所を訪ねても、流れるエネルギーが違うからです。

 

 

だから、旅する時は、

自分でも祈りを捧げ、テーマを決めたらいいですね。

 

 

そうすれば、よく行く場所ですら、

まったく違う体感が生まれる事に気づくでしょう。

 

 

手をあわせ、頭を下げた時に

ふわりとそよぐ風や、

 

階段を上る時の感触や、

 

どこかで聴こえてくる鳥たちのさえずりや、波の音に気づいたりして、

 

何か、感じるものが心にふれてくる・・。

 

 

起こることからも、何か

心にふれてくるものが運ばれてきます。

 

隣の人との会話からも、

何かを感じる要素が運ばれてくる事があります。

 

 

 

すべて、

心に感じる事、

ふと、気づく事、

心に浮かんでくる事は、

 

 

 

授かり物なんですね。

 

 

必要があって、

気づきは心に運ばれてきます。

 

 

偶然はない、という

あたたかい真理を理解すればする程、

 

 

心に浮かぶものや気づきさえ、

思わせて頂き、

気づかせて頂いているのですね。

 

 

 

だから、自分の心に丁寧に向かって、

 

 

どんな小さな感覚にも、気づきにも

 

 

アンテナを伸ばして、感度をあげるようにして、注意をはらっていると、

 

 

 

魂にそった変容は始まります。

 

 

五感は、

肉体の経験が、

自らの魂にふれる内的な霊的経験へと、波動をあげる入り口です。

 

 

心で感じ、

五感で感じる情報は、

私達の魂を目覚めさせるのです。