違うけど同じ優しさ

 

 

違いではなく、共通点を見いだせば、そこに幸せが始まります

 

 

 

私達は、誰かの真似をしにきたのではなく、

生まれる前に灯っていた「わたし自身」を表現しにきました。

 

 

 

だから、本当の自分だけが持つ個性は、パズルのピースが違うように、全員に それぞれの輝き方があるのです。

 

 

 

自分らしい表現、自分らしいカタチは人それぞれです。

 

 

 

だから私達は、平和と幸福を学ぶ上では、まずは互いの違いを認めあう事から始まります。

 

 

 

でも、違いはどこまでも平行線で、溶け合う事はありません。

 

 

 

例えば、あなたはスピリチュアルな事が大好きで、愛のエネルギーの本を読んだり、瞑想したり、五感ヘブンをしたり(笑)するのが大好きだとしましょう。

 

 

 

だけど、ご主人様や子供達は、スピリチュアルな事にぜんぜん興味がない。それよりもプロ野球が好き。ゲームが好き。

 

 

違いを認めあうとしたら、「ご主人様がプロ野球好きなのを認めてあげよう。」「子供達がゲーム好きなのを理解しよう」となるでしょう。

 

大好きなものには、その人自身の魂のエネルギーが現れるから、誰かの大好きなことを応援するのは、その人自身のエネルギーを認めることです。

 

だから、違いを認めることは、互いがその人自身である事を、許しあってゆく事なのですね。

 

 

だけど・・。

 

 

 

それはいいけど、ご主人様から嬉々としてプロ野球の話を延々と話されても、こちらは全然興味がないから、とっても苦痛で、でも認めなくちゃと思うからお話につきあうけど、やっぱりつまんないから苦痛(笑)

 

 

 

そして、お互いさまだからと、今度はあなたがスピリチュアルな事を、延々話すけど、ご主人様は全然興味がない態度をする。

 

 

そうすると、わかりあえない感じがして、理解されないから、さみしい。わかりあえないから、さみしいという気持ちになったりします。

 

 

そのさみしさがつのって、怒りさえわく事もあるでしょう。

 

 

 

互いの違いを認めると、違いが際立つので、どこまでも平行線になるでしょう。

 

 

でも、その次に優しい聖母ごころを思い出すと、心はあたたかくなれるんです。

 

 

違いを受け入れたら、

次は、一体性を見いだしてあげましょう。

 

 

 

例えば、

ご主人様がプロ野球を見ていて

「おーすごい!やったぞー」と野球を見てわくわくしている気持ちと、

 

 

あなたがスピリチュアルな本を読んだり、愛のエネルギーを経験している時に感じる「ああ~この波動大好き!わくわくする!」という気持ちは、ワクワクしている心が一致している。この気持ちがひとつですね。

 

 

 

「野球」と「スピリチュアル」では見た目もしている事も、一見違うから わかりあえないように見えますが、大好きなものにふれて

ワクワクしている気持ちが同じなのです。

 

 

 

ですから、「ひとつ」な事を見つければ、魂同士がふれあえるんです。

 

 

 

あなたはプロ野球に全然興味が持てなくても、自分の好きなものを相手が理解をしてくれなくても、試してみませんか?

 

違いを認めた上で、一致している所を探し、

そのつながっている所から、波動を出してみる (コミュニケートしてみる) のです。

 

 

ふれている現象が何であっても、

 

「うんうん、わかるわー!大好きなものにふれてる時ってワクワクするよねー!」と、互いに一致している所からコミュニケートをすれば、

 

 

ひとつになれるのです。

 

 

だから、ご主人様が野球に夢中でも、それを嬉々として語ってこられても、あなたが無理に野球を好きになろうとする必要はなく、

ただ・・。

 

ああ、私が大好きなものにふれている、あの時のあの気持ち!あのワクワクを、あの幸せを、ご主人様や子供たちが、今体験してるんだ!皆も今、魂の自分らしさにふれてるんだなと、

 

それに気づくと、そのこと自体に あなたもワクワクしてきて、優しい気持ちになれるでしょう。

 

 

 

違いを認めたら、次は「一致(ひとつ)」を探しましょう。

 

ワンネスはいつも、すべてのものを近づける。

愛でひとつに結びます。

 

そうして、いのちは孤独とさみしさを優しく消してゆくのです。