響きあう幸福

 

 

 

あなたが気づくと、あなたに繋がる人々が癒されます。あなたの波動があがると、あなたに繋がる人々が救われます。

 

 

 

「いのちは響きあいつながっている。」

 

 

この優しい真理は、言葉だけを目で追っている時は、なるほどと頭にいれるだけで終わってしまうかもしれません。

 

 

 

でも、もしこの言葉を日常の暮らしの中で体感できるなら、これは本当にありがたい、あたたかい天の摂理です。

 

 

 

いのちは響きあい、つながっている。

 

 

 

私は、この真理の響き方を自分で何度も体感した時に、感じたイメージがあるのです。とてもユニークな表現に聞こえると思いますが、

 

例えば、人類全体が、ひとつのトランポリンの上に乗っていたとしましょう。全員で、一個のトランポリンの上に座ってるとして、

 

 

 

その中で、たった一人が、ぽーんと飛ぶと、その振動でトランポリンの上にいる人はみんな はねあがり、他の人も一緒に ぽーんと飛んでしまうでしょう?(笑)

 

 

 

例えば、そんなふうに 肉体は各自バラバラに離れて分離していますが、私達のエネルギーは、いわば一つのトランポリンの上に一緒に乗っているようなもの。

 

 

エネルギーは、地続きなのです。

 

 

 

しかし、そんなふうに地続きなのは、ハートから響きだすエネルギーの方で、頭に入っている知識の方ではありません。

 

 

もし、知っているのが「頭の中」だけならば、その言葉の語句を知っているだけで、現実には特に響かず何も起こりませんが、そこを越えてそれを実践し始めると、あちこちに変化が現れだします。

 

 

 

本当に目を覚ましたい、自分にふれたいと願い、実践しようと行動し始めると、真理はまず、頭からハートへと移行して、あなたのハートが歌いだすでしょう。

 

 

 

愛を感じようとすれば、ハートが動くのです。

 

 

ハートから、波動がでてくるのです。

 

 

 

 

 

 

例えば、一人のスピリットが、本気で愛に生き、目を覚まして生きようと思ったら、人生を導くコンパスはあなたのハートに生まれる そのフィーリングです。

 

 

 

他のどなたでもなく、

「あなたを変える」という、聖なる作業に向かい始める時は、あなたのハートがあなたの先生です。

 

 

 

 

「お人ではない、自分なんだ。」と、

現実を通して、幾重にも、自分自身に向かう時がやってくるでしょう。

誰かに見える嫌な姿は、その人が悪いんじゃない、私の変わる必要のある 気づきの場所を示していてくれる。

 

 

 

 

 

それは きつい時があるけれど、その反応は、自分が憧れ続けた 魂の宝物のありかを 示してくれています。

 

 

 

 

それは 頭で考えているだけの時は 、いとも簡単に できそうな気持ちになっていたり、すでに できてる気持ちにさえ なっていたりするものです。

 

 

 

 

でも、自分の魂の理解度(実践指数)をきちんと受け入れて、

そこを越えて、ふみだすと、見えてくるものがあるのです。

 

 

 

 

 

この段階で出会うのは、例えば、あなたの魂の「涙」です。

 

 

 

例えば、それまでは埋もれて気づかなかった 自分の傲慢さ、自分の浅はかさ、薄っぺらな自分さん、スカスカで実は中身は何もない自分と、対面したりします。

 

 

 

 

こんな時 なんともいえない衝撃が、自分を貫くでしょう。

 

 

 

とても、見たくない、見れない、とても受け入れがたくて 苦しい、認めたくないと、心は暴れるものです。

 

 

 

 

でも、心の奥で苦しんでいた その自分に気づき、苦しみ、泣いて、でも、そんな自分を認めてあげる。

やさしく理解してあげる。

 

 

 

自分が今日まで 、真理を実践・行動することなく、頭の理解だけで止めて、無意識に自分を動かないようにしていたのは、自分と向き合えば、今のこの気持ち、このとても耐え難いフィーリングに 直面することを、潜在的に感知していて、おそれていたからだったのかもしれないと気づいたりします。

 

 

 

 

無意識に、こんな痛みを抱えていたんだな、と、ただ気づいてあげると、それだけでエネルギーがリリースされて、波動はすっきりし始め、軽くなるのです。

 

 

 

 

そこから、宇宙と響きあう たぐいまれな優しさが、あなたを通して溢れてくる事に気づくでしょう。

 

 

 

 

握っていたものを見て 自分を嫌悪するのではなく、そこにある祝福に気づくとき、私達はいのちの世界のやさしさに気づきます。

 

 

 

薄っぺらな自分さんを抑圧していたからこそ、まわりの人も薄っぺらに見えて一言いいたくなるし、

 

 

 

 

自分を嫌っている部分を動かそうとしていないから、まわりの人々も いつまでも、嫌な姿のまま動かない・・。

 

 

 

でも、でも、不思議です。

 

 

「あなた、おかしいわよ。あなた、ここを変えなさい。」と責めているいる時は、アドバイスをし続けても、まわりは一向に変わらなかったのに・・。

 

 

 

 

お人のせいにせず、

ひたすら変わるべきは、自分だと気づくとき、嫌という程、ダメな自分、傲慢な自分、薄い自分に気づき、

 

 

 

泣いても、いやでも、

向き合うことを怖がらずに、受け入れて「現実を通して、私は私自身を見ていたんだな。」

 

 

 

そう受け入れると、ぐんぐん、あなたは楽になり、輝きだしてきます。

 

 

 

頭のやすらぎと、ハートのやすらぎはまったく違うものです。

 

 

 

かくしたい、見たくない、絶対受け入れたくない自分の姿に、勇気をだして 目を向け、受け入れてゆく作業を通過すると、

 

 

 

信じられないような、最高の煌めきと幸福感が ハートの奥から吹き出し始めます。

 

 

 

なんという幸福感かと、わきあがるように、自分の中に溢れてきます。

 

 

芯から溶けるように、幸せなやすらぎがあなたの中にやってきます。

 

 

 

自分の情けなさを受け入れて、弱さも、すべて、認めて、引き受けてゆくと、胸のつかえが溶けて、宇宙的ないのちの幸福感が通い始めるでしょう。

 

 

 

それにより、あなたは、自らの優しさで 自分が満たされるようになるので、他の人を波動レベルでせめなくなるのです。

 

 

 

 

自分だけが、正しいと思わなくなります。

 

 

 

みんな痛みを持っていると理解が生まれ、自分の痛みに降参して受け入れてあげると、胸がすっきりしてきて、自動的に満ちてきます。

 

 

 

そうなると、自分が自分を受け入れだすので、自分でいることが気持ちよくなれるんです。

 

 

 

すると、他の人たちを責めなくなるし、責める波動を出さなくなります。

 

 

 

だから、あなたは責める波動を離れて、幸せに反応し始めるようになって、

 

 

嫌なこと、ダメ出ししたくなること、に目がいかず

 

 

ありがたいこと、嬉しいこと、心地いいことに自然と目がいくようになり、キラキラしてきます。

あなたもキラキラ、人生もキラキラ。

 

 

 

すると、しばしば不思議なことに気づきます。

 

 

 

 

ずっとネガティブで、足が痛い 腰がいたい、部屋がせまい、これはいやと、文句が多かったお姑さんから、気づいたら「文句」が消えている事に あなたは気づいたりします。お姑さんが、お出かけついでにお茶菓子を買ってきてくれるようになったりして、感謝したくなるような 小さな幸せに気づきだすかもしれません。

 

 

 

 

理解がない、私になんか どうせ関心がないんだわ と感じていたご主人様が、「おまえが興味がありそうな番組やってたぞ」と、教えてくれたりして、気づいたら、あなたが興味あることを、ご主人さまが知っていてくれたり、応援してくれる 静かな思いやりが芽生えていることに ふと気づいたりします。

 

 

 

 

又、いつもイライラして言葉のきついママ友さんがいて、苦手と思っていたのに、ふと気づいたら、そのママ友さんからイライラが消えていて、穏やかに幸せそうになっていることに気づいたりします。

 

 

 

 

そして、あなたが自分の認めがたい所を、認めよう、向き合おう、受け入れよう、そして七転八倒しても、その先にある優しさややすらぎを体験して、胸があたたかくなると、

 

 

 

ふと、気づいたら、例えば ひきこもりぎみだった子供達に、教えないのに、又、ひっぱりだそうとしてないのに、

子供達の心の内側から、やってみたいことへの希望が生まれ、そこに向かってみようとする新しい勇気が、自然に湧きだしているのは 何故なのかと、あなたは驚いたりするかもしれません。

 

子供達の内側から、人生を開こうとする優しい勇気が湧いている・・。

そんな人生の優しさに、気づくかもしれません。

 

 

 

意識は、地続き

意識はつながっています。

 

 

 

あなたのやさしい勇気は、必ず誰かの意識に優しい波動を送っています。

 

 

 

あなたが変われば、共に変わる世界があるのですね。

 

 

 

だから、私達はどこまでも、優しくなれるのかも しれません。