2019年のエネルギー(9)安心のハートお守り

 

 

亥の目とマドンナハート

 

日本古来のハートマーク

 

 

 

今年の元旦、

この Tenderness Lightのページにて、

新年のご挨拶をさせて頂きました。

その時に、お届けしていたこのお写真、覚えていらっしゃいますか?

 

 

 

 

 

 

その後もくりかえし、使っておりますから、もうすっかりお馴染みのお写真ですね。

 

 

 

これ?なんだろう??って、首をかしげておられた方も多かったのではないでしょうか。

 

 

今日はこの優しいハートの世界のお話です。

 

 

 

さて、この数日に渡りお届けして参りました2019年のエネルギー。

その方向性についてのメッセージは、お楽しみ頂けましたか?

 

今年のエネルギーについてのメッセージ、サポートフードやクリスタル、皆様の暮らしにお役立て頂ける世界をお話させて頂きました。

 

 

 

今日はそのラストを飾るよう、2019年のメッセージとして、

この神様のハートにふれるメッセージをお届けさせて頂きます。

 

 

 

今年は亥年ですね。

私は、全国様々な神社さまに参拝いたしますが、その際ご神域の屋根などの装飾に、

よくお見かけして、見つけるのを楽しみにしているものがあるのです。

それは、このハートの形です。

 

 

 

私は神社で出会うこの優しいハート形が大好きでして、出会ってしまうと、

何だかとっても 嬉しくなって、思わず微笑んでしまうのですが、

 

 

実はこのハート型

 

 

『亥の目~いのめ」

 

と呼ばれる日本古来の 災難よけの紋様なのです。

護符の役割を果たしている、お守りの型魂なのです。

 

 

 

古くは、古墳からもこの亥の目紋様は発見されていたり、

日本刀の束などにも、よく見ると、使われている『災いよけ』の型魂(かただま)です。

 

 

亥の目というから、

イノシシさんの目をシンボライズしたものかと思いますが、

 

どう見ても、イノシシさんの目の形ではないように思います。

(イノシシさんが恋をしているなら別ですが(笑))

 

 

なぜ、このカタチが、亥の目と呼ばれるかは、諸説あるようですが、

本当のところは謎のようです。

ロマンですね。

 

 

神社さまでは、大抵 屋根部分の装飾などに使われていますが、

これは、木造が多い神社さまが、火事にならないよう、火防せのお守りだと言われています。

 

 

 

 

この亥の目が何故 災いよけなのかも、諸説あり、

どれが有力な説なのかは わかりかねますが、

 

 

 

 

聖母界の女神の真理で、紐解くと

なるほどと、

あたたかく頷いて 手を合わせてしまいます。

 

 

 

 

ハートの形を見ると、いかがでしょう?

気持ちが 何だかほっこりしませんか?

 

 

なんだか、そのままでハートフルで、ピースフル、やわらかい幸福感が心に広がりませんか?

 

 

 

ハートのお姿はそれだけで、

敵対意識のない、優しいバイブレーションに満ちています。

 

 

 

 

いつか、こんな学びをした事があるのです。

 

 

 

あれは、私がまだチャネルをひらきたてだった

1987年頃でしょうか?

 

 

 

チャネルがひらき始めて、まだ間もない頃、

霊的に敏感になりすぎていた私が、エネルギーのバランスがとれずにいた頃の事。

 

 

いろんな霊的世界が見えすぎてしまい、

恐れを感じてもいた

まだ未熟な意識の私が、

霊的な魔除けとして 水晶を持とうと、

勉強不足のまま、クリスタルのブレスレットを購入したのです。

 

水晶は魔除けによいと当時、お人から聞いたからでした。

 

 

 

ところが、

「魔除けの意味」として、

水晶をつけていた私に聖母は、

 

 

 

 

『水晶の使い方を間違えていますよ。』

といったのです。

 

 

 

あたたかい笑いを含んで、胸の中にわいた、優しい聖母の声でした。

 

 

 

それはまるで、小さな子供が

例えばままごと遊びをしていて、お皿を何に使うかわからずに、

見よう見まねで、帽子みたいに頭にかぶっていたら(笑)

優しいお母さんに、

「あらあら、お帽子にしたの?これはそのように使うものじゃないのよ。」と、

くすくすあたたかく笑われて、

包まれているような、慈しみ溢れる声でした。

 

 

 

胸にわいた、優しい声のひびきは、もうそれだけで、

すべてを含んでいて、

ぶれはなく、

あたたかくて、

その優しいひびきに、私は一瞬にして、

すべてが内側から諭され、ハッとしたものです。

 

 

 

 

魔除けとは、多くの場合

魔よ、こっちにこないで~!。

あっちにいけ~!と、よけてしまう。

 

その守りが、神の力だと錯覚してしまう。

けれど、そんなふうに 嫌なものを排除する分離意識 と

神様の結界は 別物なのだそうです。

 

 

聖母界は、愛と慈しみの世界。

優しくつつみ、ゆるし、愛していく世界。

 

 

 

そこに神聖な秩序はあります。

神様の結界は、敵対ではなく、敬意による秩序で成り立っているのです。

 

 

 

魔除けは、魔をよけていきます。

でもそれだと、魔に対して、抵抗するエネルギーが出ていて、

けれど、そういう抵抗は、よりその排除したくなる世界を 引き寄せてしまうのだそうです。

 

 

 

何故なら、実は自分自身が同じ波動を、心の奥に、握っているからです。

 

 

「出会う」という事は、

どんなにいい訳してみても、

自分の内側に同じものがあるという事。

 

 

宇宙は波動の世界だから、引き合うものがなければ、出会う事すらないのです。すれ違ってしまう。

 

 

 

自分が、嫌なものを、

嫌なものだと感じて、

あっちにいけ!くるな!と思う、

その冷たい心の在り方は、実は、

心の内にいる美しい、本当の自分(ハイヤーセルフ)と、

日常使いしている未熟で認めたくない嫌悪したくなるような

ダメな自分を、否定し、排除している姿。

 

 

自分を嫌い、蔑んで、こっちにこないでよ!と、分離させる

癒されていない意識。

自分を嫌悪し、分離する心が、それらを引寄せる磁石になってしまう。

 

抵抗ではなくて、

相手を魔だと思う、

悪いと見ている愛のボリュームが、まだまだ低い自分の意識。

 

相手に敬意を持たずに、敵だと見る意識。

 

ちょっぴり ぴりっとからい表現をさせて頂くなら、

 

自分は悪くない、清まるべきは相手の方だと、自分を高みにおく意識。

 

 

 

相手と自分の間に、線を引き、分けて分離させる意識。

 

 

清めるべき、洗うべきは、

魔ではなく、その裁き心、自分の心の方なのだと、

聖母は教えてくれました。

 

水晶は、その自分の中の純粋で透明な神性を、にごらせる事なく映し出し、

その美しい周波数を思いださせてくれるもので、

心を洗ってくれるもの。

排除の周波数は持っていません。

避けるのではなく、優しく清めるもの。

 

 

もし、

祓いを学び、清めを学び、結界などの守護の世界について学びたいなら

 

 

「まず、限りない慈しみを学びなさい」

 

 

そう、優しい母なる光は 教えてくれました。

 

 

 

 

 

「 すべてがあなたに、あたたかい愛を教えてくれる先生です。

出会うすべては、あなたの

心を洗ってくれるものです。

何かを嫌だと思うその心。

こちらに こないでほしいと 思う心。

「敵」にみえ「魔」にみている その心、

その、かたい自分自身の心を洗う為に、そのご存在と出会わせて頂いたのですよ。

そこに気づき、愛が目覚める度に、

自然に、苦しい影響は受けなくなるものなのですよ」

 

聖母は そう教えてくれたのです。

それが、天界の磁場。

優しい結界の世界。

 

 

そのあたたかい真理に出会ってからというもの、

最初は霊的に苦しみ、

エネルギーのダメージに弱く、

寝込んでばかりいた私が、

 

 

気づけば、不調和な霊的影響をまったく受けなくなっていました。

 

 

 

宇宙は波動がすべてで、

すべてがエネルギーでできています。

 

 

 

 

 

だから、謙虚になって、

どんな存在でも、どんなものでも、

それは、自分の内側にある同じ痛みの投影で、

 

自分の痛みを映し出しているものです。

それがわかれば、

それから学ばせて頂き、

気づきに変えて、

まずは自分を救うのです。

 

 

 

自分の恥ずかしさを救い、

見たくない醜さを救い、

自分の依存を、自分が救う愛を学ぶ。

 

 

その内なる神と自分との一致が、

大きく広がる包容力になるんですね。

だから、包めてしまう。

 

 

つまり、敵対されたら、

それはまだ自分の中に「敵対」を引寄せる何かがある時ですから、

その「何か」をあたたかく救う事が必要です。

 

 

そうやって、自分の内側があたたかく、

しっかりと内なる神とつながっていれば、

相手様から向けられる 敵対意識は、それ以上形をキープできなくなるのです。

 

 

内と外の自分が、

しっかりと愛でつながっている人のフィールドでは、

愛ではないものは、パワーを失ってしまうのです。

愛の前では、溶けてしまう。

 

 

だから、感情の解放は大切なんですね。

 

 

 

自分の感情をよく知って、

一つ一つ丁寧に扱い、優しく昇華していくからこそ、

痛みを知り、恥ずかしさを理解しているから、

思いやりも溢れるし、

再び丁寧に自分を省みる謙虚さもでてきます。

 

 

 

そういう意識をもつ人は、

ハートから、

敵をもたない、

善悪・陰陽が調和した、

透き通るような麗しいオーラが

豊かに放射されてきます。

 

 

自分のハートから、

透明で純粋で、

水晶みたいに澄みわたった

類いまれな光が、

豊かに、まばゆく、

放射されてくるのです。

 

 

それはそれは、麗しく

豊かに光は放射され、

その人自身の心の美しさが、

光となって、存在をくるんでいきます。

 

あたたかいハートからあふれる光、

その人自身の心の美しさが、

あたたかい光となって放射され、

自分自身を、自らの美しい心で、

包まれてしまうのです。

 

 

 

そうすると、あたたかくて優しい磁場がその人のまわりに形成されます。

 

 

 

その人を包んでいる 慈愛のフィールドにふれると、

愛ではない感情が向けられても、

それをキープができないので、

意地悪しようと近づいてきた人も、何故か優しい気持ちになって敵対心が消えてしまうのです。

 

 

人は皆、見えないエネルギーを無意識にでも 感知しているものですから。

 

 

自分を救い続けると、

そのやすらぎは、自分を拡大するのです。

 

大きく広がった自分、

すなわち 他の人、他の存在に投影していた「自分自身」をも、

優しく包み、慈しみ助けてしまう。

 

 

 

聖母のお祓い、お守りは、

そんな慈しみの世界です。

 

 

それが、「亥の目」という

日本古来のハートの世界に出会った時、私の心に広がった 優しい頷きだったのです。

 

 

自分に優しくハートを送るなら、世界にハートがあふれだすのですね。